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リンカーン中村てんかん記(1)「人生を変えたお笑いとの出会い」

リンカーン中村てんかん記(1)「人生を変えたお笑いとの出会い」

笑顔を届けるてんかん講師のリンカーン中村です。

 

僕とてんかんとの今までのストーリー。全6話の第1話目です!

エピソード1は、てんかんになるまでの話です。(”エピソード”とか言っちゃった。笑)

 

僕がどんな少年で、どんな人生を歩んでいたのか?実は、ファンクラブができるくらいモテていたときもあったのです…。(遠い目)

人見知り全開の幼少期

元号が平成に変わった1989年。僕は、中村家の末っ子として誕生しました。5つ離れた兄と、3つ離れた姉に可愛がられて、すくすく育ちます。そんな当時の僕を一言で表すなら、「甘えん坊」

幼稚園に上がる直前まで、「ジュースの味がする!」と言って指しゃぶりをしていたそうです。笑

どこか出かけるときは、いつも兄や姉の後ろについていました。

 

1人では何もやらなかった性格が影響して、幼稚園に入ると、なかなか馴染めませんでした。「行くのが嫌だ」と泣き出したり、幼稚園を脱走したり、かなり迷惑を掛けていたようです。

 

小学校に入っても、周りの子達に、自分から声を掛けれませんでした。そんな僕を気に食わなかったのか、隣の席の男の子が、尖った鉛筆で僕の足をブスっと刺してきたことがあります。大泣きしました。(今でも鮮明に覚えています。笑)

 

そんな人見知りの少年でしたが、小学校3年生のときに出会った、”あるもの”によって、人生が大きく変わっていきます。

お笑いとの出会い

兄や姉がいる人なら共感できると思うのですが、家での”テレビリモコンの権限”は、末っ子の僕にはほとんどありませんでした。いつも、兄や姉が見たいテレビを、隣でじっと見ることになります。

僕が小学3年生のとき、兄は中学2年でした。中学2年というと、友達や先輩から色んな情報を仕入れて、周りにひけらかしたくなる年齢です。

 

ある日、僕が学校から帰ってきて、1人でテレビを見ていると、

「ちょっと、どいて。」と言って、ビデオテープを持った兄がテレビの前に座りました。

僕が返事をするよりも早く、ビデオデッキにテープを押し込み、再生ボタンを押します。

 

そこから流れてきた映像に、僕は釘付けになりました。

 

ステージの上には、まるで主役かのような佇まいで、マイクが1本立っています。すると、

「はいどーも!」

という元気の良い声と共に、2人の男性がやってきました。そして、何やら話を始めます。

1人がおかしなことを言う。1人がそれに怒る。すると会場に笑いが起きる

またおかしなことを言う。またもそれに怒る。すると、またまた笑いが起きる。

 

チラリと隣を見ると、兄も笑っているではありませんか!

「なんだこれは…。」初めて触れる世界に、心臓がドキドキしていました。

 

テレビに映っていた2人が姿を消すと、また違う2人がステージ上にやってきました。

しかし、今度はマイクがありません。すると2人は、そこがあたかも旅館であるかのように、振る舞います。まるでおママごとをしているかのように。

そして、またしても1人がおかしなことを言ったり、やったりして、もう1人がそれを怒ります。会場には笑い声

兄も大爆笑。

 

気づけば僕も、笑っていました。

 

この摩訶不思議な”面白い世界”は、僕を一瞬で虜にしました。

お笑いが僕に見せてくれた新しい世界

それから、兄がいないときにそのビデオを何度も巻き戻して見たり、番組名を調べて自分で録画したりしました。(僕を虜にしたのは「爆笑オンエアバトル」という土曜日の深夜にNHKでやっていた番組です。)

毎週録画して、家に帰ってきたら何度も観ていました。

当時はまだまだ若手だった、アンジャッシュ、バナナマン、アンタッチャブル、ドランクドラゴン、おぎやはぎ、陣内智則など、現在では第一線で活躍する芸人が、ネタを披露し、次々に笑いを取っていました。

「いや〜〜〜、面白いなぁ〜〜〜〜。」なんて思って、繰り返し観ていると、段々ネタやギャグを覚えるようになっていきます。

 

覚えたものは、披露したくなるのが人間の性です。(よね?笑)

僕はクラスメイトに、少しずつネタやギャグを披露するようになっていきました。あたかも自分が考えたものかのように。笑

それでも周りの友達は、土曜の深夜にやっているお笑い番組なんて知りません。初めて聞く斬新な言葉や動きに、ケラケラ笑ってくれました。

 

すると、少しずつ周りに人が集まってくるようになりました。そこから、僕の人生は、変わっていきます。

 

毎年のように学級委員を務めるようになり、小学4年生にして彼女ができたりしました。しかも相手は学年のマドンナ的女の子。

いわゆる、”人気者”になっていったのです。それから僕のイケイケ人生は、加速していきます。

全盛期の中学時代

中学に入っても、僕の勢いはとどまるところを知りませんでした。

入部したテニス部では、1年生の大会でいきなり市内優勝!

2年生のときには、生徒会長に就任!

3年生の体育祭では、応援団長を務め、チームを優勝へ導きます!さらには、学園祭では友達4人でバンドを組んで、ボーカルとして歌を披露!さらにさらに、その学園祭でオリジナルコントを披露!これが大ウケ!!

 

何をやっても上手くいきました。笑

中学2年のときには、女子の先輩に好意を抱いてもらったり、3年生になると後輩の中で、”好きな先輩”で、1位2位を争うくらいの人気者になっていました。(この頃に戻りたい!!!!!)

 

その勢いのまま、僕は地元の高校へと進みます。

そして、高校では僕の人生を変える、さらなる出会いが待っているのでした。

 

僕の人生を”最悪”へと転換させる、”あいつ”との出会いが待っていました。

 

エピソード2へ続く…

 

最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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