笑顔を届けるてんかん講師の中村です。
16歳のあの日まで、僕はてんかんという名前はもちろん、自分がそんな病気になるということは、知る由もありませんでした。
16歳の暑い夏のある日
16歳の誕生日から2週間が過ぎようとしていた夏休みのある日。
所属していた高校の陸上部の大会に向かうために、僕は朝6時に自転車で家を出た。
会場まではおよそ40分。
「今日も暑い1日になりそうだなぁ・・・」
そんな当たり前な日常を感じながら、サドルにまたがり、ペダルを漕ぎ始めた。
いつもの日常、いつもの風景、ただ感じる一つの違和感。
僕の地元の和地町は、浜名湖と山に囲まれたのどかな町で、観光地へと繋がる舘山寺街道がなければ、交通量もそこまで多くはない。いわゆる普通の田舎だ。
その日は朝早い時間ということもあり、交通量は少なかった。
小さい頃から何千回と目にしてきた風景の中を、いつものように走っていく。
しかし、この日は何かが違った。
頭が重い。
寝不足かと思っていたが、目が覚めてからしばらく経ってもそれは変わらず、むしろ重みを増していた。
家を出てから1分。
そんなことを感じながらもペダルを漕いでいたとき、路肩に止まっているシルバーの車に目が止まった。
「誰か寝てるんだろな。」
そのとき、重さを感じていた頭がグラっと揺れた。
そして、体に軽い電流が流れたかのように、手と足が軽く震えた。
ペダルを漕ぐ足が一瞬止まり、ハンドルも一瞬取られ、自転車もぐらついた。
「うわっ、・・・」
その次の瞬間、グラグラっと、さっきよりも頭が大きく揺れる。
自分の体がスローモーションのようにゆっくりと倒れていくのを感じた。
一回の瞬きが何十秒にも感じ、目の前の景色が斜めに歪んでいく。
自分の体が地面に着く前に、僕の意識は完全に無くなっていた。
死にたくない!しにたくない!シニタクナイ!
まぶたが動くのがはっきりと分かるくらい、ゆっくりと目が開いていった。
自分が横になっていることはすぐに分かった。「ピーポー」という音が大きく聞こえる。
頭が異様に重い。まるで脳内をかき回されたかのようだ。顔がジンジンと痛む。舌ベロも痛い。
目の前には白い服、白いマスク、白いヘルメットをした人が右と左にそれぞれ1人ずついて、眼球の中に入り込もうとしているかと思うくらい僕を見つめていた。
「大丈夫ですかー?聞こえますかー?」
色々な情報を必死にかき集め、鉛のように重い僕の脳が出した答えは、
”救急車の中にいて、目の前には救急隊員がいる”
ということであった。
しかし、なぜ自分がその状況に陥っているのかは、どの情報からも汲み取れず、僕はすぐにパニックに陥った。
鼓動は早くなり、息も荒くなった。
死にたくない、しにたくない、シニタクナイ!!
突然、理解不能な現実を突きつけられ、僕はとっさに死を感じた。
「死にたくないです!助けて下さい!お願いします!」
泣きながら叫んだ。
「大丈夫ですよー。落ち着いて下さいねー。」
「鼻からゆっくり息を吸って、口からゆっくり息を吐いてみてくださいねー。」
優しくも、どこか他人事のような口調に言われるがままに従い、いや、従うしかなかった。
僕は呼吸を整えることにだけ意識を集中した。
すると徐々に、自分の中に自分が戻ってくるのを感じた。
落ち着きを取り戻した僕は、救急隊員の人の話に、少しずつ答えられるようになっていった。
自分の名前と住所、左右上下にゆっくり動かす指を目で追えるかの確認などを行なった。
一連の確認が終わると、救急隊員の人は、僕が最も知りたかったことを教えてくれた。
「道路に倒れているのを発見した人が通報してくれて、今病院に向かっています。」
病院に着いてから。
”自転車を運転中、路肩に止まっていた車に激突し、そのまま意識を失って倒れていた。
道路を歩いていた人がそれを発見し、救急車を呼んでくれた”
自分の置かれた状況を知り、少し落ち着いた僕は、そのまま救急車の中で眠りについてしまった。
おそらく病院に到着したであろうタイミングで、目が覚めた。
後ろの扉が開くと、そこには3人くらいの人が、今か今かと僕を待ち構えている。
救急車のベットはそのまま移動できるストレッチャーになっていて、僕は体を起こすことなく、寝た状態のまま病院内に通された。
一般の人が立ち入り禁止であろう道を、僕を乗せたストレッチャーが駆けていく。
道を空ける看護師やお医者さんは、僕が横を通ると、チラッと僕の顔を確認していった。
「せーのっ!」
病院内を移動する用のストレッチャーに移され、”脳に損傷がないかどうかの検査をする”という説明を受けた。
丸い筒の中に入る’MRI’の検査を受け、一般病棟に移される。
さっきまでは鉛のように重かった頭も、時間が経つにつれ少しずつ元に戻っていった。
それからしばらくして、今にも泣き出しそうなくらい心配そうな顔をした母がやってきた。
しかしその頃にはケロッとしていた僕の表情を見て、落ち着いたらしく、安堵の息を吐いた。
診断の結果、確かな原因は掴めず、
「おそらく貧血であろう。」
というのがお医者さんの判断だった。
「今後、朝早いときは、前の日早く寝るとかして、気をつけないとなぁ。」
大事にならずに安心した僕は、この日の教訓を頭に刻み、病院を後にした。
しかし、この時の僕は、半年後に、同じ症状で倒れるのをまだ知らない。
【てんかん】と診断されるのは、まだまだ先のことであった。
てんかん発作は突然に 〜あなたもなるかもしれない〜
これが僕が初めててんかん発作が出たときの話です。
当たり前の日常が、急に大きく姿を変えました。
日常に死が忍び込むようになってしまったのです。
この日は、たまたま路肩に停まっていた車に激突しましたが、運悪く走行中の車に激突していたら、僕は今生きていなかったかもしれません。
てんかんは、誰もがなる可能性がある病気です。
あなたや周りの人も、もしかしたら今日なってしまうかもしれません。
しかし、てんかんになったからといって、不幸になるというわけではありません。
僕はこの先もてんかんと共に生きていきます。
けれどそれは決して悪いものではなく、最高な人生であるということを示していきたいと思っています。
てんかんになった人に、希望を持ってもらえるように。
「てんかんは、誰もがなる可能性がある病気です。」
とのこと、確かにそうですよね~
もし、ある日てんかんになる、希望を持ってもらえるように生きたい~