笑顔を届けるてんかん講師の中村です。
僕の人生には、様々な忘れられない瞬間があります。
その中でも今日はてんかんを持っている僕が、「生まれてきて良かった」と心から思えたときの話です。
それは、自分の部屋で”あるもの”を読んでいたときでした。
自己否定の日々からの脱出
16歳でてんかんになってから、ネガティブな考えが頭の中を支配するようになっていきました。
”なんでてんかんになってしまったのか・・・”
”てんかんを持っている自分にできることなんてない・・・”
答えが出ない問題に毎日のように苦しんでいました。
”生きている価値なんてない”
そんなことを思う日もありました。
しかしある日、「てんかんって、すごい個性じゃん」という友達の一言がきっかけで、てんかんに対する考え方が少しずつポジティブなものへと変わっていきました。
”もしてんかんが自分の個性だとしたら・・・”
”もしてんかんが自分の武器だとしたら・・・”
そんな考えを持てるようになってから、行動が少しずつ変わっていきました。
てんかんを持っている僕ができること
てんかんを自分の個性だと考えるようにした僕は、自分に何が出来るかを考えました。
そんなときです。
テレビを観ていたら、”てんかんを持っている人が交通事故を起こした”というニュースが飛び込んできました。
この事故を見て、
「てんかんの人がもっと生きやすくなる世の中をつくりたい」
「てんかんで悩む人に元気や勇気を届けたい」
と思うようになっていったのです。
自分の思いを届けるために”講演”という活動をスタートしました。
不安と後悔の入り混じった初めての講演
どうすれば講演をできるか考え、中学3年のときの担任の先生に相談してみることにしました。
すると「じゃあ1回やってみる?」と言って頂き、早速1回目の講演の開催が決定しました!
その先生は僕の母校にはいませんでしたが、浜松市内の中学校で先生をしていて、2年生の学年主任ということもあり、話を通してくれたのでした。
開催は2ヶ月先。
伝えたいことをまとめ、スライドを作成し、準備を進めました。
話す内容を何人かの友達に見てもらい、修正を加え、スライドも直し、何十回と話す練習をし、その日に備えます。
しかし、進んでいく準備とは裏腹に、不安を感じるようになっていきました。
「みんな聞いてくれるのか?誰も聞いてくれなかったらどうしよう・・・」
当日を迎えた僕は、脈を打つ心臓の音が自分でも聞こえるくらいに緊張していました。
次第には、”なんでこんな怖い思いをしなければいけないのだろう・・・”とさえ思うようになっていました。
パソコンと不安をバックに押し込み、会場へ向かいます。
VS 中学2年200人
会場は中学校内の、小さめの体育館のような場所。
そこには2年生約200人がすでに、待機しておりました。
先生からの紹介の後、いよいよ講演会が始まります。
”もうここまで来たらやるしかない!!!!!”
この日に用意した内容は、
「マイナスなことをプラスに考える方法」
というものでした。
てんかんという病気になってから経験した苦しい思いや、そこから感じたことを通して、悩みや不安に対して、少しでもポジティブに考えて欲しい。
そんな思いを話しました。
しかし、途中で話す内容が飛んで「えーーーー・・・」と詰まってしまったり、
用意していたボケがめちゃめちゃスベったり、何十回と噛んだり、ボロボロでした。
”あんなに練習したのに・・・”
そんな悔しい思いに拍車を掛けるように、眠っている子や友達と話を始める子も目に止まり、講演が終わった直後は、悔しい思いだけが残りました。
”まぁ初めてのことだし、しょうがない。次はうまくやろう。”
自分を慰めるように心の中で何度も繰り返し、家に帰りました。
後日僕に届いたもの
初めての講演が終わってから1週間が過ぎようとしていた頃、僕の元に1通の郵便が届きました。
差出人を見ると、そこには講演を企画してくれた先生の名前が!!
”クレームの手紙でも入っているのか・・・”
おそるおそる封を開けると、そこには生徒一人一人からの講演の感想の手紙が200人分入っていました。
僕は一度その封筒を床に置きました。
”見たくねーーーー。”
素直にそう思いました。
しかし、これを糧にして前に進もうと決意し、恐怖を押し殺して一つ一つに目を通すことにしました。
すると次の瞬間、僕の中には先ほどとは全く逆の感情が込み上げてきました。
「ありがとうございました」
200枚ある感想の手紙のほとんどに、この言葉が書いてありました。
中には、 こんな嬉しいことを書いてくれた子もいました。
そう、僕の思いは届いていたのです。
一粒、また一粒と涙がこぼれ始め、次第には滝のように涙が流れてきました。
僕がてんかんになり、苦しい思いをした経験は他の人を助けるためにある。
そして、それを必要としてくれる人がいる。
その瞬間、心の底から感じることができました。
「生まれて来て良かった。」
てんかんになったことにも、死を意識しながら生活を送っていることにも、夢を挫折したことにも、生きる意味を見失ったことにも、
全てに意味があり、それらは僕の人生を輝かせるために、なくてはならないものだったのです。
僕が生徒からもらった「ありがとう」は、これらの苦しい経験をしたからこそもらえたものでした。
生徒からの手紙は、僕の人生を肯定してくれるものであり、僕に生きる意味を与えてくれました。
「ありがとう」
僕の口からも、手紙に書いてあったその言葉がこぼれました。
胸を張って生きていくために
僕はこの経験を通して2つの思いを感じました。
1つ目は、
”どんなに辛い経験をしても、それを認め、肯定してくれる人がいるだけで生きていける”
ということ。
もちろん、家族や友達にそう思ってくれるだけでも嬉しいです。
けれど、”苦しい経験をした後に初めて会う人”に、自分の存在を認めてもらえると、大きな自信が生まれ、勇気が湧いてきます。
”中村真二がてんかんを持った”
ではなく、
”てんかんを持っている中村真二”
を認めてもらえることが、大きな自己肯定に繋がっていきます。
そして2つ目は、
”待っているだけでは、何も変わらない”
ということです。
自分のことをさらけ出すことの恐怖に負けて行動することをやめていたら、その先にあるプラスな感情には辿り着けなかったと思います。
何も行動に起こさないままだったら、僕は今もてんかんに関して悩み続け、前に進めなかったかもしれません。
行動することこそが、自分を変える(考え方を変える)唯一の方法なのだと知りました。
僕はきっとこの先も、自分の思いを伝え続けることでしょう。
それは、自分自身を勇気づけるためでもあります。
そして、僕と同じように悩み、苦しんでいる人の背中を押してあげたいと思います。
その人が、
「生まれて来て良かったんだ」
と思えるように。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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「癲癇」と「転換」
どちらも読みは、”てんかん”。癲癇という病気の見方や考え方を、プラスな方向へ転換させたいという思いから、”てんかん講師”と名乗っています。
僕自身が、癲癇になって、人生が何度も転換していった。(悪い方へも良い方へも)そんな経験を伝えていきたい。#てんかん #ミレラボ
— てんかん講師 中村真二@6/8東京 6/29浜松,名古屋 (@nakamur809) 2019年4月20日
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